抽選と選択
「抽選と選択の繰り返し」。
麻雀のゲーム性をこれほど端的に表した言葉もないでしょう。
プレーヤーは配牌、ツモという抽選を受けて、打牌、鳴き、リーチ、倒牌といった選択を行います。
その抽選と選択の繰り返しにより一局の結果(和了、放銃、流局)が出て、更にその繰り返しにより一半荘の結果(順位、収支)となります。
仏教的に言えば、選択が因、抽選が縁とでもなるのでしょうか。
どんなに最善の選択(因)を尽くしても、抽選(縁)に恵まれなければ良い結果(果)を得ることはできません。
流れ論の正体
「抽選はランダムに行われ、選択や結果の影響を受けない」。
麻雀一番街の講座や現麻を読まれた方には今更語ることでもありませんが、それでも“流れ論者"は後を絶えません。
とつげき東北氏は流れを“概念のゴミ箱"と表現されましたが、今回はそのゴミ箱を少し整理したいと思います。
現麻では、抽選に何らかの意志が介入するという考え方をオカルトと定義しましたが、流れ論者でも、実際に抽選が選択や結果の影響を受けると本気で信じている人はそこまで多くはありません(本気で信じている人は、数学のテストで確率の問題が出た時に、流れによるから一概には言えないとか答えたりしたのでしょうか。気になります)。
これも現麻で一度述べたことですが、「流れ」と言う言葉は、
(1)確率的傾向
(2)心理的傾向
(3)ゲーム展開
の意味で用いられます。
(1)の意味での流れが否定されても、(2)や(3)の意味では流れがあるから流れは存在すると主張されるわけです。
然しそれは、抽選に選択や結果が影響しているわけではありません。
例えば、「ツモが悪いから弱気になってミスをしてしまう」のであれば、ツモが悪いという抽選が、ミスをしてしまうという形で選択に影響を与えたのであり、
「持ち点が少ないから押したくない手でも押さざるを得なくなり放銃してしまう」のであれば、それまでの結果から持ち点が少なく、押さざるを得ないという形で選択に影響を与え、その選択の為に放銃という結果になったわけです。
「仕掛けで他家を警戒させてうまく流局に持ち込んだ」のであれば、仕掛けという選択が他家の選択に影響を与え、流局という結果になったわけです。
そうです。抽選が選択や結果の影響を受けているのではなく、選択や結果が、別の選択や結果、あるいは抽選の影響を受けているに過ぎないのです。
そして、「流れ」という言葉で一括りにされる現象は、全て「抽選」、「選択」、「結果」の関係性で説明がつくのです。
最善の選択の為に
繰り返しになりますが、イカサマでもしない限り、抽選が選択の影響を受けることはありません(ひょっとしたら流れ論は、イカサマ師が自分のイカサマを誤魔化す為にでっち上げたのが始まりなのかもしれないと思ったりもします)。
ですから私達ができることは、抽選によって良い結果になりやすいような選択を行うことに他なりません。
では、そのような選択を高い精度で続けていく為には何を心掛けることが重要でしょうか。
それは次回以降お話したいと思います。
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